俺はそう思います。
どんなに困難な状況であっても、
メンタル、メンタル、メンタル、
精神力、思考力、機転次第で乗り越えることができます。
俺が思うメンタルの強さとは、
「思考のバリエーション数」です。
いかに多くの考え方、
いかに多くの意識の持ち方、
いかに多くの心構えの仕方、
これを知っているかどうか。
この品数よって、困難にぶち当たった時の反応が180°変わってきます。
思考のバリエーション数と対応できるシチュエーション数
両者は比例します。
そう俺は、自分自身や他人の失敗体験から強く学びました。
メンタルとは、知識であり、
メンタルとは、発想であり、
メンタルとは、実践です。
「こういう状況に陥った時はこう考える」
「こうなりたいなら、こういう心構えで取り組む」
この思考のバリエーションを俺は、数百、数千レベルで知っています。
いや、もしかしたら俺が知らないだけで、本当はそれ以上に存在するのかもしれません。
「こういう状況に陥った時はこう考える」
「こうなりたいなら、こういう心構えで取り組む」
これを自分の心に根付かせたいのなら、
よい意味で楽したいのなら、
(1)、まずはそれをどれだけ教わるか、知るか。
これが1つめ。
そして、
(2)、(1)の知識や自身の経験をもとに、自分でアレンジを加えて、
さらに強力な思考パターンを生み出す。
これが2つめ。
最後に、
(3)、(1)+(2)で得た思考法を実践に応用する。トライする。アウトプットする。
これが3つめ。
普通の人なら心折れちゃうシチュエーションでも、
ひょうひょうとしてる人はね、
困難を物ともせずに乗り越えちゃう人はね、
1~3の過程を日常的に、連続的に辿っているよ。歯磨きのように。
このサイクルを回せば回すほど、
メンタルは本当の意味で強くなっていく。
そういう意味では、体育会系は修羅場だらけだし、
1~3に触れやすいから、
必然的にメンタルも強くなる傾向にある。
ただし、体育会系でも、優れたコーチに出会えなかったり、
知識や論理がない状態でひたすら根性論に突っ走ったり、
そのスポーツ自体の技術面ばかりに目がいっちゃってたら、
メンタルのレベルは上がりにくい。
「心折れそうなときほど、”気合い”だ」
そんなことも言われるが、
俺は、それだけじゃ限界があると思ってる。
気合い。
これに加えて、
知識(状況に応じた考え方を教わる)
発想(頭を使う)が必要だ。
メンタル強い=神経が図太いとか、
まるでもともとの才能のように、
生まれ持った資質(体質)のように思っている人もいるかもしれないが、
「ただ知っているかどうか」
「ちょっと機転を利かせるかどうか」
これだけで心が楽になることなんて無限にあるよ。
いくらでも強くなれるしね!
俺の好きな言葉に、
「心技体」
これがあるけど、やっぱり根幹は、心。はじまりは心。
心だ。
心とは、木で言うところの”根っこ”の部分だと俺は思う。
心を飛ばして、技や体を伸ばしても、いつか限界がくるし、
根っこの部分が弱いから、困難にくじけやすかったりする。
逆に、心のレベルが高ければ高いほど、
技や身体のレベルは、あとからいくらでもついてきます。
「技」から「心」への発展することは不可能ですが、
「心」から「技」の発展は可能です。
それは、心(思考)のレベルを上げることにより、
行動レベルを上げることができるからです。
以下の記事でも触れているボーリングの理論のように。
→人生の原点②大きな転機から強力なオンリーワンは創られる
俺は、スポーツ、お稽古ごと、教育業界以外の仕事など、
本当に多くの世界を経験し、また経験するだけじゃなく成果も上げてきているけど、
ピカイチで才能ある人間でも、技に飛び抜けた人間でも、
心のレベルが低いがゆえに、途中で挫折に負けちゃったり、リタイアしちゃったり、
そういう人間を何人もみてきた。そのたびに、心(根幹・根本・本質)の重要性を再認識した。
だから、心の話をよくする。
まず、心
次に、技術
最後に、身体。
重要度は、この順番だ。
だから、
親の言いなりで無理やり勉強、
缶詰めで勉強、勉強、勉強、
こういう、「勉強を通じて道を学ばない」というか、
そういう技ばかりの人間は、勉強という枠以外で通用する確率は低い。
そこには、勉強という「技」しかないから。
そういう環境には、「道」が存在しないから。
勉強のための勉強ばかりして、
学者になるんだったらそれでいいかもしれないけど、
本当に優秀な人は、どんな分野でも、必然的に成果を上げるような人だし、
そういう人ほど1つのアイテムを通じて「心技体」を鍛えているよ。「道」を学んでいるよ。
Array単調な努力というか、
— 下関市の個別指導塾TMD (@001_coach) 2019年1月8日
思考や目的定義が欠落した努力というか、
そういう努力ではなく、
筋肉質で、
本質的で、
知恵を伴い、
目的定義が明確な努力
これができる人ほど、本当の意味で努力家といえるし、どんな分野においても必然的に伸びる人。二刀流、三刀流は、天才除けば全部このタイプ
Array受験勉強において、頭を使った上で論理的な努力ができれば、スポーツにおいても、仕事においても、人間関係においても論理的な努力ができる。一方で、ただガムシャラに量をこなすだけの努力家は、どんな分野においても単調な努力しかできないし、それだと限界がくるっていうか本質には辿り着けないよ。
— 下関市の個別指導塾TMD (@001_coach) 2018年12月17日
無料体験授業とかでも、
「勉強方法が・・・」とか、
そういう技系の質問相談をよく受けるけど、
本当のことを言うと、技ばかり目がいってるから今のあなたなんだよと。
技の前に、心構えや意識のレベルが低水準だから今のあなたなんだよと。
根っこがないから、すぐに枯れちゃうんですよと。
もちろん、当塾では、技の部分も圧倒的に教えていくけど、
心の部分はそれ以上に教え込んでいくし、
身体の部分についても、今後もっと教えていこうと思ってる。
重要なのは三本柱。
1つが欠けてもダメ。3つそろってはじめて価値が出る。
その出発点は、心。思考。精神面だ。
心の値が低い人間にいくら”技”を教えても、
それは、あまり意味がないというか、本質的ではない。
受験勉強も、結局は、
いかに心を乗せるか。いかに心を広げるか。柔らかくするか。
これによって、どんな出来事に対しても色んな交わし方ができるようになるし、
モチベーションや行動力も上げられたりするし、
ピンチもチャンスに変えられるようになる。
ひいては、どん底からでも這い上がる力、能力の向上、
どんな分野においても成果を上げる力がついていくよ。
「器があってこそはじめて注いだ水は溜まっていく」
「根っこが丈夫であればあるほど、大きな木が育つ」
こうなるよ。
Array勉強も同じで、勉強=目的。こうなっちゃうと、最終的に勉強しかできない人間になる。
— 下関市の個別指導塾TMD (@001_coach) 2017年6月26日
勉強はめちゃできるけど、それ以外のことは全くできない。こんな結末になる。だから、どんな分野にも通用する、全てに応用できる、コピー可能な本質的な部分が重要なのかなって思うよ。勉強ひとつとってもね、
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