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NEW (2023.6.20)・・・ ブログ更新

ノートは黒板を写すな!板書のコツは「構造化」と「フィルター」

「目的と手段を履き違えるな」

これはいつも塾生に言ってることだけど、

例えば、板書1つとっても100個以上はネタがある。

今回はそのうちのいくつかを紹介していこうかな!


(1)緩急にこだわれ!目先の1秒は未来の1万時間

まず、1つめ。

板書の字がいつも綺麗

こんな教師。


ノートの字がいつも綺麗

こんな生徒。

毎度、毎度、毎度、超丁寧

オールウェイズ、ウルトラマンモス几帳面

が故に、書くスピードがスローモーション

みたいな。

ようは、彼らは、

悪い意味でワンパターン、緩急なし。

“字の美しさが目的化しちゃってる”

そんな典型なわけだけど、

俺が学生の時もいたなー

・黒板を美術のように書き上げる
・ノートをアートのようにまとめ上げる

特に女子に多かったりするけど、

もはやカラフル過ぎて目が眩む!
ノートアートして勉強した気になっちゃう!

とかとか・・

いや、それはそれで美しいことかもしれないけど、

「テストで結果を残す」この目的においては、
それは的を得た手段からは外れちゃってるよと。

だから、これに命かけてる生徒に限って、
肝心な成績は芳しくなかったりするんだよね。

っていうのは、マジでよくあるあるな話だ。



手前味噌ながら、

実際、俺が板書で書道をすると誰よりも上手に字が書けるわけだけど、
いつもどんな時でも誰もが唸るほど鮮やかな字が書けるわけだけど、


こういう行為は、はっきり言って無駄でしかない。

もう一度いう。無駄でしかない。

あえて俺が常時それを実行しないのには理由があるんだ。


もちろん、「丁寧であること」これは本来プラスなことだ。


しかし、使い方を間違えると、マイナスになる。



具体的には、

「板書の目的」

これを考えた時に、

その一丁目一番地っていうのは、

あくまでも視覚化すること。記録すること。

これらによって理解を深めること。これだったりするわけだけど、

要は、ヴィジュアルで脳を整理整頓させるために、

右脳的には、イメージを膨らませたり、
左脳的には、キーワードを印象づけたりする。

こういう役割があるわけだ。

つまり、板書=書道ではない。板書=美文字選手権ではない。

板書は、あくまでもサプリメント。補足だ。


俺は営業マン出身だからよくわかるけど、

優秀な営業マンほど、

口頭がメイン、資料はサプリ。

資料は最低限、口頭で肉付け。なんなら資料など不要。

この位置づけ、このスタンス。

一方でその逆ほど上記とは真反対の構図になるわけだ。

言うまでもなく、前者の方が圧倒的に効率的である。
言うまでもなく、人は堅っ苦しい資料を読むのが面倒である。

だからこそ、上記の図式がグッドなわけね!



では、もっと具体的に話を進めよう。

「書く」「話す」

前者と後者には、7倍もの生産性の差が生まれる。

そんな話をしていくと、

例えば、

ア イ ウ エ オ

これを今、頭の中で手書きしてみてほしい。

1文字1秒くらいかかる。

ってことは、5文字で5秒だ。

これが平仮名なら、漢字なら、
もっともっとかかるよね。

対して、

「アイウエオ」

声に出して読んでみてほしい。

5文字1秒以下

瞬きで終了だ。


そもそも人間っていうのは1分間で話せる文字数が決まっていて、
それが大体400文字前後って言われてるんだけど、

これをもとに単純計算しても差は歴然。

書く→60秒で60文字
話す→60秒で400文字

この時点で生産性の差は6ー7倍。
この塵が積み重なると、もっともっと膨大な山になるってわけ。

よって、フォーカスすべき点は、あくまでも、いかにトークで伝えきるかどうか。
それをバックアップするため脇役として板書が存在するんだということ。


特に、個別指導塾のようにタイムリミットがある授業形態においては、
限られた時間の中で、最大限の能力開発、最大限の成果を上げなければならない。

1分、1秒あたりの生産性をとことん上げていかないと、
予め立てたプランが未達に終わりかねない。



だからこそ、俺は、例えば、

①トメ、ハネ、ハライなどが重要視される国語の漢字問題や、緻密さ精度が不可欠な数学のグラフ・図形問題など、

本当に「美しさ」が必要な時。


②教材に対して、より体系的に図式化、構造化、シンプル化する余地があると思った時。


上記のケース以外は、

板書における文字は補足の伝達ツールとしてだけ使う。

美しさのためには使わない。メインとしても使わない。

くどいけど、メインはあくまでも、

「トークによる意思疎通」

・どこまでわかって、どこからわからないのか?であったり、
・わかるなら、口頭で説明できるのか?であったり、

こういう部分の方がはるかに大事だし、
だからこそ、ここを最最重要視してるよ。


少し余談だけど、さらに勉強になる話をすると、

例えば、優秀なピッチャーほど、

プレートの位置、球の速さ、ボールの軌道、コース、高さなどなど・・

あらゆるカテゴリーにおいて、あえてコントラストをつけまくる。

つまりは、

緩と急、強と弱、静と動、

こういう加減法をよく知ってるし、それらを時と場合によって使い分ける天才操縦者なわけだ。


また、頭がいい人ほど論理的なわけだけど、

論理一辺倒でトークをすると、今度は抑揚がなくなったりする。

要は、ロボットみたいになる。

よって、聞き手が退屈する。
どこが大事なのかわからない。

こんなシワ寄せが起こる。

よって、本当に賢い人っていうのは、

論理と感情のバランス

これを意識した上で、メロディーのように話を展開する。サビがある。

結局、何をやるにしても、

本当の意味で優秀な人ほど、良い意味でリズムを持ってるし、柔らかい。
その逆は、悪い意味で単調、モノトーン、固い。

前者と後者の差は、可動域の差。振れ幅の差。

こういうのと一緒だよ!



(2)ノート=オリジナリティーこそすべて

続いて、2つめ。

板書はそのまんま写すな!

常にアレンジしろ!

これも塾生には言ってるけど、

「板書=先生の脳みそ」

あくまでもこれなわけで、

「板書=あなたの脳みそ」ではない。

そして、あなたのノートは、先生に見せるものではなく、あなたが見るものだ。

誰のものでもない。あなたのものだ。


よって、まんま写すのではなく、

あなたが一番理解しやすいようにまとめる。構造化する。

あなたのフィルターをかけてから記録する。

上記がすべてなわけ。

そっちの方がノートの評価も上がったりするわけ。


例えば、以下の記事を見てほしい。

📒本当に重要なのはポイントはポイントではなない。

上の記事でも触れている通り、

ノートっていうのは、

一般化させるのではなく、カスタマイズしてこそ意味が出るものなんだ。

もし、一般化させるのであれば、ノートなんて書く必要ゼロ。
それどころかマイナスアクションにさえなる。

理由は、教科書、参考書で解決しちゃうから。


だいたい、学校の先生なんかが板書に書く内容ってほとんど参考書に書かれてるわけだしね。

だから、俺は教わる側だった学生時代は常に、

黒板とにらめっこしながら、

「自分なりの工夫を必ず加えよう」
「もっとよいまとめ方はないのか?」
「この先生よりわかりやすく書こう!」

こんな発想、そんな意気込みでノートをとっていたし、

実際、教える側になった今でも、

教材に山ほど載ってるポイントよりも、
全く載ってないポイントではないポイント

こういうのを板書することだらけかな。




今回の内容をまとめると、

1、いつも板書(ノート)が綺麗は要注意!

効率悪すぎ。時間的ロス。情報量はライティングよりトーキングの方がはるかに上。
強弱、緩急を意識しろ!書道やアートとしての板書は、本当に美しさが必要なシチュエーションだけでよい!


2、板書をまんま写すな!

見て→書くではない。見て→自分で構造化→書く。
自分のフィルターをかける。このプロセス、この思考があるかないかで生産性は大きく変わる。
オリジナリティーこそすべて。ノンオリジナルなら教科書、参考書で十分。


以上です。


次回からも、学校や他塾ではでは決して教われない、

色んな分野で成果を上げる人が、どういう思考で、どういう行動をとっているのか?

こういう話をどんどん伝えていくのでSNSもフォローしといてね!

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