忘れもしない。
熊野小学校一年生の時の持久走大会。
俺は小さい頃、運動があまり得意ではなかった。
むしろ、その頃は特に運動もしてなかったから苦手だった。
おまけに病弱というか、当時は小児喘息を患っており、
経験ある人はわかると思うけど、
発作が始まると、ただただ苦しい。
そんなこんなでの
「55位」
後ろから数えた方が圧倒的に早いこの順位。
毎日のように遊んでいた親友は、
ふたりとも、運動神経抜群。
俺は幼いながらに、悔しかった。
その時かなー、はじめてスポーツで悔しさを味わったのは。。
それまで本気でスポーツするって経験がなかったからね。
幼稚園の運動会とかもあったけど、あんなのは茶番だし。
そう、話は戻って55位。
本気で走って55位。
とにかく、それが悔しかった。
込み上げる劣等感・・
完走後、満面の笑みを浮かべながら親と会話してる親友を見て、
ただただ悔しかった。
けど、どうすれば順位が上がるかもわからなかった。
だから、翌年の小2も確か同じくらいの順位。
同じことを繰り返すことほど、
悔しいことはない。自分が嫌いになることはない。
自己嫌悪、けど、迷子。。
ただ、ある時ピンとひらめいた。
俺は、母親に相談してみたんだ。
「どうすれば持久走大会で順位が上がるのか?」と。
そして、母親から返ってきた答え、
「はやい友達に聞いてごらん」
なるほど!
聞けばいいのか!!!
その時、小さな衝撃が走った。
今でも覚えてるくらい。
母親は、とにかく厳しくて、でも普段はどこか抜けてるところもあったが、
たまにこうしてヒントをくれたりするのであった。
答えじゃなくて、ヒントをね。
だから、母親には反抗もしまくっていたが、
非常に秀逸なアドバイスをくれた時だけは、なぜか俺は急に素直になるのであった(笑)
その後、、
俺は素直だから翌日、
すぐに同じクラスの転校生・クラちゃんに聞いてみた。
「なんでクラちゃんはそんなにはやいん?」
返ってきた答え、
「まず、骨を丈夫にすることが大事なんだよー。だから、魚の骨もなるべく食べた方がいいよ!」
確かこんな感じだった。
おれは、真剣に答えてくれるクラちゃんを見てうれしかった。
はやく走る秘訣なんて誰も教えてくれないと思っていたからね。
今振り返ると、いかにも小学生。
いかにも低学年って感じの微笑ましい回答だけど、
この時、すごく大切なことを学んだ気がした。
だって20年経った今でも覚えてるくらいだから。
重要なこと。
それは、「素直に人に聞く」ということだ。
かっこつけずに素直に聞けば、素直な反応が返ってくる。
まるでブーメランのようにね。
この学びを定期テストで応用した話も、
以下に書いているのでよかったら見てほしい。
→下関市立川中中学校の定期テストで学年1位達成した学び【結果が出る人、出ない人の違い⑤】
それ以降、見かねた母親が練習に付き添ってくれるようになった。
今思うと本当に有難いことだ。
妹と一緒に関門トンネルの人道を走りにいったりもした。
あそこは、ランニングしてる人がよくいたからいい意味で刺激もあったし、
緩やかな斜面になってるから無理なく体力をつけるには最適な場所だった。
それから喘息を治すために、水泳クラブにも通うようになった。
小4からは近所の友達に誘われ、子ども会のソフトボール。
小5からは硬式野球、空手などなど、、
(ソフトや野球で出会った鬼コーチ達のお陰で、根性もつけさせてもらい本当に感謝。)
そうやって凡人がスポーツという枠で正しい努力を続けていると、
いつの間にか持久走大会の順位は急激に上がっていった。
小5で確か19位、
小6でもそのくらいだったかな。
このとき純粋に、
努力して結果を高めるってこんなに楽しいことなんだ!
そう思った。
けど、その反面、まだ上に20人くらいいる
この事実に対して、悔しさもあった。
だから、その後もスポーツを続けた。
熊野小学校を卒業し、川中中学校に入学すると、
硬式野球の他校のメンバーたちと一緒になり、
野球と掛け持ちでみんなで、中学の陸上部に入部することになった。
俺が属した種目は、長距離。
その理由は、2つ。
1つは、野球につながる体力をつけたかったこと。
もう1つは、小学校の持久走大会で自信をつけたこと。
しかし、さっそく出鼻をくじかれるハメになる。
「先輩はやすぎ・・・(オウェーーー・・)」
最初の練習から、全くついていけず、
吐くくらいしんどかったし、当然悔しかった。
そう、その悔しさは、あの時のそれと似ていた。
正直、あまりのハードさに、
毎日ほんとに死にそうになっていた・・。
朝っぱらから5km、
放課後も5km、
全力疾走&全力疾走&全力疾走、、、
こんな地獄、もうやだ
けど、野球は言い訳にはしない
そう誓っていたから、
何度も逃げ出しそうになったが食らいついた。
そう、こういう ”逃げ出したくなるような環境” ほど、しっかりしがみつく。
「しがみつく」
このプロセスを超えた時、最も能力が上がりやすいんだ。
以下の記事(心の支えになる人は自分!人生経験が一生の財産になる条件)でも書いているけど、
この時の経験が今になっても財産というか、大きな武器になっている。
だから、あなたに伝えたいことは、
目の前の逃げ出したいことほど、諦めないってこと。
「ハングリー精神、反骨心」
こういうのを持つ。
そうすれば、きっとその経験は将来の武器になる。
どんなに先輩についていけなくても、
負けることが大嫌いな俺は、諦めなかった。
俺は諦めが悪い人間だ。
だから、地獄の練習で死にそうになっても、
小1の時と同じように、過去の体験(財産)をなぞるかのように正しい努力を重ねまくった。
その結果、ありがたいことに、周りからも運動神経が良いと褒められるようにもなれた。
持久走大会「55位」の俺が。
そして、顧問の先生からも認められ、
1,500m走も最終的に4分台で走れるようになり、
県大会出場や、駅伝では最終区間(アンカー)を任されるようにまでなれた。
持久走大会55位の俺が。
この経験を通じて学んだことがある。
・素直に悔しがる重要性
・素直に聞く重要性
・逃げたい時ほど忍耐×反骨心
この3つだ。
結局、人って変われるんだよ。
55位でも変われるんだよ。
●関連記事
→本当の素直さとは2つの段階がある!素直じゃないと上は無理
そして、今回はスポーツを例に挙げたけど、
スポーツよりも勉強の方が遙かに成果が上げやすい。
その理由は、以下の動画で解説してるから、ぜひ見てみてね。
(才能は開花しない。勉強×遺伝×努力の法則を超わかりやすく解説してみた結果)
最後に、陸上部顧問のイソベ先生には、
本当に本当に本当に感謝している。
ほんと良い指導者だったな~。。
離任式でみんなが泣いちゃうくらい、
ヤンキーたちの心もがっちり掴んじゃうくらいの人で、
今でも思い出すよ、色々話してくれたこと(=一生モノの財産)を。
Arrayどんなに底辺だろうが、
どんなにハンデを背負おうが、
どんなに窮地に追い込まれようが、
どんなにコテンパンにされようが、
諦めないやつは伸びる。絶対に
ようはメンタルなんで、なにごとも。
— 下関市の個別指導塾TMD (@001_coach) 2019年1月10日
コメント